『美しい人』

 今日もあの人とすれ違った。その顔を目に焼き付けたいのだけれど、出来ない。見ていることを悟られたくないから、なんでもない風な顔を装ってすれ違う。それから気づかれないように振り返り、後姿をしばし眺める。
 あの人の左手の薬指には指輪がある。それが返って魅力的なのだ。ワンピースが白くても黒くても似合っている。風邪をひいていたのか、ピンク色のマスクをしていたときも、また、似合っていた。
 初めて、か細い声を耳にしたとき、これを記憶にとどめておこうと必死だった。
 あの人を、今日も、想う。

『2月に咲く花と歌声』

2月1日
 無趣味、無感動、無関心、無口。この世界に適応できません。
2月2日
 太宰治になりたい。
2月3日
 本当に僕は醜い。死ねば美しくなれる。死ぬことでしか美しくなれない。
2月4日
 さようなら。
2月5日
 生まれたことがそもそもの間違い。
2月6日
 生きているだけでご迷惑をおかけするだけなので死にます。
2月7日
 今まで目標がなかった僕にたった一つ目標ができました。自らを殺すことです。
2月8日
 人は、意味ばかり求めます。真実ばかり求めます。僕にはそんな難しいことはわからないし、上っ面にしか興味がありません。嫌になりました。
2月9日
 どんな道徳を説こうが僕の決意は揺るぎません。死への誘惑はとても甘いのです。
2月10日
 ただ、あの世に引っ越すだけのこと。
2月11日
 なし。
2月12日
 24年。だいぶ予定より長く生きてしまった。 
2月13日
 ごめんなさい。ありがとう。支えてくれて人たち。
2月14日
 甘い甘いチョコレートをほおばる。甘い。もうこれで充分だ。
2月15日
 京都駅の改札前でキスをした。別れの挨拶。最後の挨拶。この世の終わりには、言葉ではなく、くちづけを。
2月16日
 さようなら。
2月17日
 君と見た、琵琶湖が綺麗でした。蛍が綺麗でした。何より君が綺麗でした。もう君は僕のものではないのですね。
2月18日
 なし。
2月19日
 生まれてこなければよかった。父よ、母よ。あなたたちが、憎い。
2月20日
 預金は奨学金の返済に充ててください。残りはすべて、どこかの孤児院に寄付してください。使える臓器はすべて移植に使ってください。
2月21日
 この世に対して言うことがなくなりました。僕にはもう何もありません。
2月22日
 生きていても楽しいことなどないのです。見つける気力すら果てました。
2月23日
 散るからこそ、花になれる。
2月24日
 なし。
2月25日
 なし。
2月26日
 なし。
2月27日
 最愛。あなたの声。あなたの歌。きっと天国でも聞こえることでしょう。
2月28日
 愛すること。優しくすること。思いやること。何一つできないこの僕は、愛されることがありません。人間としての自分に絶望したのです。生まれ変わったら蝶になれることを願って。

絡めた指

あなたは美しい。


戸惑い、悩み、苦しみ、躊躇い、嘆き、祈り、言葉を紡ぎ出そうとする様。

そのすべてが美しいのです。


だから、お願いです。今のようにそっと咲いていてください。
そして、見つめさせてください。

『空へ』

 そう遠くはない、向こうの電線の上でカラスが鳴く。私と同じカラスなのに言葉が違っているから、何を言っているのかはわからない。あちらは群れて、どうやらおもしろい話をしているようで、笑い声が聞こえてくる。


 いつからかは覚えていないが、私は彼らと違って、ゴミ袋を漁らなくなった。口にするのは、ある老いた夫婦の家のベランダの、その妻のほうが世話をしている苺のみ。なぜだか、彼女は私がその苺を啄ばむのを止めなかった。確実に知っているのに、追い払ったりせず、不思議だった。
 近頃、体がだるかった。羽ばたくのもしんどい。私と違う言葉を話す彼らの声は、わずらわしいばかりだった。
 夜明け前、空気を楽しむように飛んでいると、羽が痺れてきて飛ぶのもままならず、やっとのことで降り立った人家のコンクリート塀の上に止まるのも数秒。ついに倒れた。
 ああ、そうか。毒をもられていた。


 私は今、電柱の側のゴミ置き場にいる。このまま死ぬのだろう。ここからゴミとして捨てられるのだけは嫌だ。せめて言葉は違えど同じカラスに食べられたい。彼らに目玉を耳を羽を齧られ、再び空へ舞い上がりたい。

『日傘』

 この場所でハーブティーを飲みながら目を閉じると思い浮かぶ。
 黒いレースの日傘を差したあなたが遠くからゆっくりこちらに向かって来るのを。フリルのあしらわれた白いブラウスに、プリーツが細かく入った黒いスカート。首元には小さなうさぎのネックレス。弦楽器の曲でも流れてきそうな登場。顔が見える距離まで近づいてようやくその涼しげな表情が読み取れます。
 でも、そこまで。まぶたの裏に現れる映像はそれでお終い。何度繰り返しても。
 楽しい思い出でも、悲しい思い出でもありません。ただ、数秒の動画を眺めているようなもの。
 儚い、しかし、卵のように滋養のある大切な記憶です。

『ヴィオロン』

 お互い無口なもの同士のデートなら、この店がきっといい。沈黙が苦にならないから。僕にはその良さがわからないが、古いオーディオ機器が主として鎮座するミニ・ホールと言える名曲喫茶に居る。
 扉を開けて入ったときに流れていた軽快なピアノ曲のせいか、最初は落ち着かなかったが、ゆっくり確かめるようにして店内を見回すと、古びたしかし品のよい置物、椅子、机、ランプなどが並ぶのを味わえて、次第に心安らいでいった。
 そして、持ってきた小説――このお店が舞台になっている――を祈るようにして読む。ここに居ます、と。
 読み終えてから、次は来る途中に手に入れた『パンドラの匣』にしようかと思ったが、なぜか手が動かなかった。ここは入れる場所ではなく、出す場所なのかもしれない。だから、こうやって言葉を紡ぎたくなるのだろう。
 そうしている間に、次々と客はやってくる。年輩のオーディオ好きが来るものだとばかり思っていたが、若い人がほとんどだ。 「クンパルシータ」のような退廃的な空間とも、「宵待草」の耽美な空間とも違う、表し難い何とも音楽的な空間に人々が納まっている。目を閉じると、何時間でも居たいという想いがこみ上がってきた。
 しばしの沈黙。レコードが替えられた。今度はオーケストラの曲。こんなときに自分の教養の無さを惨めに思う。誰それの何という曲と言い当てられないまでも、アリアだとかカノンだとかそういった水準で表現できたらと思う。別段、音楽の学習などしないくせに。花だって同じだ。花の名を覚えられたらいいなと思いつつ、図鑑などには目を通さず、道端に咲く花に目を合わせては「君の名は何と言うんです」と問うだけ。
 
 「ヴィオロン」。つまり、バイオリン。それがこの店の名。あちらこちらにバイオリンの飾りがある。美しい。この空間を独り占めできたなら……。普段は清春しか耳に合わず、好きではない音楽が聞こえてくれば途端に落ち着かなくてしようのなくなるこの僕が、この店で名も知らないクラシックを聴きながら、そう思うのだ。
 少し冷えてきた。二杯目の紅茶はブランデー入りにする。帰ったらシャツにアイロンをかけるのかと思うと、ますますここを離れたくなくなった。アイロンがけは嫌いじゃない。あの皺のすっと伸びていくのは心地がよい。しかし、それではここに居たい気持ちには勝てやしない。
 この一週間を振り返る。体調が悪くならない日はなかったが、その時間は格段に減った。悶え苦しむ時間が少なくなると、いろいろやる気がわいてくる。手紙を書いた。電話をした。部屋のインテリアについて思案した。一月前はそんな余裕すらなかった。ここに来ると決めたのも昨日の夜のことだ。そして、ここに来てまた回復していくのを感じている。
 また、来ます。必ず。