「消失」

 山手線の内回り。僕はシートの端に座っていた。
 ふと、向かいの女性にじいっと見つめられているのに気づく。その視線は好奇のものでもなく、不審者をみるものでもなく、何かを確かめているような。
 驚きを隠そうと努めながら、その女性の目を見つめ返した。しかし、数秒と持たず、ドアの上のモニターに目線を移した。どうしようか。
 ややあってから、少しずつ視界に女性を入れていくと、ゆらゆら揺れておりどうやら眠っているようだった。何だったのだろうと目を閉じて逡巡している内に、何時の間にか僕も寝てしまった。


 夢の中で、向かいの女性は紙袋の中から亜砂利餅の箱を取り出し、ふたを開け、僕に差し出した。「おひとつどうぞ」と。
 僕は躊躇うことなく当然のように「ありがとう」といって一つ貰う。それを口に入れると舌にチクリと痛みを感じた。
 つまみ出したそれは、北欧の少女の絵がはめ込まれた小さなピアス。四年ほど前、実家近くの本屋に行ったとき、お気に入りのピアスを確かめるように耳を触ったら右のほうが無くて、三十分くらい探したけれど結局見つからなかったのだった。
 デートの用もないのに綺麗にアイロンをかけた左下隅に青い猫の刺繍が入った白いハンカチを上着のポケットから取り出し、それで丁寧にふき取ってから、僕は女性に尋ねた。
 「どうして、あなたが?」
 「お困りだったでしょう?」
 「ええ。」


 質問を質問で返されたところで目が覚める。既に向かいの女性は居なかった。