「一日目・前編」

 静かな音楽とやさしい香りが流れてくる落ち着いた待合室だった。初めての病院。初めての科。やがて与えられた番号で呼ばれた。診察室に入る。
 そこで話したことは忘れてしまった。メモを手にしていったのだが、何か僕の気持ちが邪魔して、書き出しておいたことすらすべて打ち明けられなかった。
 医者「わかりました。ここにはあなたと同じく、人付き合いが苦手で、生きるのが辛いと言ってやってこられる方がたくさんいます。その方々は、同時に、親しい友人をつくりたいとか深い人間関係を築き上げたいと望んでいるとも言います。しかし、あなたは、『このまま独りでいたい』と言う。もしかしたら本当は、心の奥底では、彼らと同じことを望んでいるけれども、これまでの経験によって踏み出せないだけなのかもしれません。どうでしょう。一度、カウンセリングを受けてみては。専門のカウンセラーの先生が診てくれますよ。」
 僕「はい。是非。」
 それこそが目的だった。ひたすら頷く。
 医者「ちょうどこの後、三時から空きがあります。もしご都合がよければ、いかがでしょう。」
 僕「はい。是非。」
 同じ言葉を言って、またひたすら頷いた。それまでのやりとりから、正直この人の印象はよくなかったので、はやく逃れたいという理由もあった。冷静な自分は、この人は今までの医者としての経験から導き出した意見を述べているだけだと言い、直感的な自分は、この人は僕を責めていると言う。直感的な自分のほうが強かったのだ。
 医者「では、また三時にいらしてください。」
 僕は一旦病院を出て、近くの喫茶店で時間をつぶすことにした。大きなカップになみなみと注がれた赤く酸っぱいハーブティーを飲みながら、持ってきていた小説を読んだが、内容は頭にまったく入らなかった。本に栞を挟んで閉じて、窓の外をぼんやり眺めて、ハーブティーを口にして、また本を開く。それを何度も、何度も繰り返す。そして、再び病院へ向かう時間になると、希望でありますようにと願いながら、席を立った。