『母の日』

 私の母はガーベラだ。
 朝起きたら「おはよう」と言う。
 ご飯を食べるときには「いただきます」と言う。
 出掛けるときには「行ってきます」と言う。
 帰ってきたら「ただいま」と言う。
 眠るときには「おやすみなさい」と言う。
 いつまでも美しく咲いていてください。

『四月』

 藤棚が色づき始める頃になると思い出します。またこの季節が来たんだね。
 賑やかな花も好きだったけれど、それより冠のように景色を飾る藤のほうが、あなたは好きでした。
 ずっと見守っている、とさよならの代わりをあなたが最期に言ってからも時は進みます。まったく詩情も叙情もありません。同じ雨に濡れ、同じ寒さに触れた時間。あんなにもきれいだったのに。
 元より遠かった距離が、更にもっと遠く遠く離れてしまいました。写真は無く、甘い香りと細い声だけが思い出の中に残り続けます。
 届かなかった詩の数々と届いた僅かな詩。くだくだしいやりとり。何も示さないことで示す。どれも今も変わらない。
 褪せてゆくのはしようがない。それでも僕は形に残したい。できるだけの言葉を尽くして。後からすぐに零れ落ちて、崩れ去るのも省みないよ。
 いつまでも伝えたい。灰色の天に向かい、涙の日も歓喜の日も願うように書きます。

『スケッチ』

 一年にたった一度、二度と来ない秋が始まる。ここでしか生まれない季節。一期一会。大切にしたい。


 水曜日の朝。黒猫のカーテンを開ける。窓の外。
 仰ぐ灰色の空。小雨降る。しとしと、と。水たまりがちらほら目に映る。
 制服に着替えた。朝ごはんを食べた。歯磨きをした。身支度は済んだ。
 靴に足を滑り入れ、傘を持つ。一歩踏み出し、玄関の扉を開ける。隣のともだちも同時に出てきた。
「おはよう」
 元気のよい挨拶と柔らかい目線が重なる。


 鉄の安っぽい階段。下る靴音。女の子が二人。軽やかに話す声。
 歩みを止め、目の前にはすぐ学校。もう一度、
「おはよう」


 帰ってくれば、ベッドで大の字、背伸びをして。
 起き上がれば、くつろいだ格好で温かい紅茶。丁寧に淹れたアールグレイ。今日は少し肌寒いから。


 締めは全てを洗い流すお風呂。湯船は濁って桜色。薫るはちみつ。響く浴室では独り言。
 楽しみが溢れている。
「おやすみなさい」

『路上の十字架』

 電柱の無骨さがたまらなく格好よい。
 真っ直ぐに立つコンクリートの円柱、見通せぬ中は空洞。等間隔に打たれた作業用の杭、登り手は居ない。てっぺん近くの十字から双方向に各々五六本伸びるケーブル。雀が停まっていると尚よい。背景は透き通った青でない、僅かに曇る空。
 何処から何処へと繋がっているのだろうと空想はしない。ただ、存在する姿に魅力がある。まるで現代美術のよう。

『かおり』

 バレエシューズが好き。お店の棚に色とりどりに並べられている、丸いつま先のぺたんこの靴。甘く光るM&M'sみたいで、手のひらに乗せたくなる。リボンが付いていると尚いい。但し、ダンスに使うのじゃなくて、外履き用の。
 でも、私は背が低いくせに足ばかりが大きくて、足のサイズが合うかわいい靴が滅多に見つからない。それに、試着しても似合わないし……。
「そんなことないよ」と友だちに言われるけれど、お世辞だとしか受け取れない。卑屈な性格。
 いつも飾られた靴に挨拶するだけで、一緒には帰れぬ短い出会い。
「はじめまして」
「さよなら」

『グラス』

 目の前に水の入ったガラスのコップがある。無印良品で買った、丁度指が四本分の小さな灰色がかったものだ。
 水はミネラルウォーターでも何でもない東京都の水道水。冷たそうにも温かそうにも見えない。ただひたすら混じり気のない透明な液体。
 その水面は、ヒトが脈打つかのごとく常に細かく震え、生命を想わせる。同時に、水とコップが一体となって周囲の景色を歪ませて映し出す装置になっている。
 「装置」として考え始めたら、そこに重さが感じられた。ずしりと構えているが突然、机に穴が開きコップが落ちてしまいそうなほどの。
 小さな小さな虫がいれば、このコップの縁を走り回ってはしゃぐかもしれない。人間には到底出来ない楽しみ方をするのだろう。
 こうしている間にも、水は蒸発している。いや、天使が一滴一滴ずつ吸い取っているのだ。

『儚さ』

 今宵、満ちたから。
 空に浮かび、波立てず泳ぎ、涼しく燃え、舞い落ちるように朽ち、血の気引いて白み、か細く唄い、声なく微笑み、器は潤い、泪零れ、闇に惑い、光に眩み、未来に臥し、影を重ね、昨日を悼み、あこがれに誓い、夜を離れ、美しく眠る月。それは、あなた。
 おやすみなさい。